早朝の野菊(信徒会館前) |
「お上人様、私はもう参り始めて何年にもなります。毎日毎日、念仏も積んでおりますが、一向に〈おじひ〉のおみのりがいただけません。すぐいただく方もいるのに、私はなぜなのでしょうか?」
宗祖上人は笑いながら
「〈おじひ〉のおみのりは、わが我(が)でいただけるもんじゃなか。ばってん、あなたのように、内職してお参りするなら難しかろう」
と、言われました。
「内職?」
「そうたな(そうです)」
「…」
「毎日毎日念仏を積んでおるかも知れんが、心の中は、他のことを考えながら唱えとるから難しかろう」
と、宗祖上人はその同行がしているお行の様子を仏様から教えていただきながら、たしなめられました。
私たちは、心のこもらないお参りを知らず知らずしていないでしょうか。
口ばかりは、お経や念仏を唱えるものの、心は別のことを考えている、そのような「内職」をしていては、仏様に真正面から向き合うことはできないのです。
厳に「内職」をつつしんで、みのりあるお参りを心がけたいものです。
※ここでの「内職」は、「俗に、授業・会議の席で、隠れて行う他の作業」(『三省堂 大辞林 第三版』)という意味で用いています。
『宗祖上人伝』「人生鏡鑑より」
(一部抜粋し再編集しました)