それは、明治13年1月21日早朝のことでした。当時10歳だったお上人さまは、酒米(さかまい)を積んだ牛の手綱を引いて、基山町内にある「倉永の三叉路」と呼ばれる場所に差し掛かりました。すると急に牛が動かなくなり、お上人さまは東南の空に、後の身語正立教を予見するような光り輝く仮名文字の仏告をハッキリと目にされたのでした。
この不思議な体験をされた倉永の三叉路には、平成5年6月10日に「覚恵上人仏告拝見之地」と刻まれた石碑が建立されました。そのときの様子は、『めぐみ』66号で詳しく紹介しています。
倉永の三叉路にある石碑 |
この逸話は、『宗祖上人伝』第2版P.53や『われ阿難尊者のごとく』上巻P.76などにもありますので、ぜひそちらもご覧ください。